デング熱に関する報道が続いています。
最初に「渡航歴のない人がデング熱を発症」と聞いたときに思ったのは
「あぁ、ついに日本も亜熱帯確定か~」でした。
帰国後しばらくは
「日本の蚊にさされても、デングやマラリアの心配はないから大丈夫~」と
ムヒを片手にへらへら笑っていたものの
年齢的に虫さされの後が治りにくくなったので(笑)
庭に出る時は虫よけスプレー、夕方には玄関の『外』で蚊取り線香を焚いておりました。
今年から見掛けるようになった某メーカーのバラの香りの蚊取り線香に
インドで売られていた蚊取り線香の香りに似たものを感じて
懐かしく過ごしていました。
実行するようになって思ったのは、インド式の「外で焚く蚊取り線香」方式の合理性。
家の中に臭いが充満することも無く、出入り口付近で蚊を遠ざける。
本来、インドの蚊取り線香は「殺虫」目的ではなく「忌避」なので
家の中に入ってしまった蚊を仕留めるには不向きです。
そのせいで懐かしの「電撃蚊取りラケット」なども併用したり
家の中では日本の蚊取り線香を使ったりしていました。
夫も私も数回デリーで高熱を出し、関節の痛みに耐えながら寝込んでいたことがあるのですが
ふたりして考えるのは
「あれはデングや否や?」
あ~でもない、こ~でもない、と言いながら、結局のところは
重症化してなかったし、今更分からないよね~、でおしまい。
重症化して輸血が必要になる場合もまれにあり、日本人会を通じて
「献血のお願い」メールがまわる場合もあったので、
たかが蚊、となめてかからないようにしています。
家の外で焚く蚊取り線香を見るたびに、
いつも朝夕2回、ドアの外でマッチをすっていたメイドちゃんを思い出す夏でした。
]]>とある神社の境内脇の売店で夫へのお土産を買いました。
ご当地のお菓子でも、ストラップでもなく、買ったのは
スイカ。 スイカ丸ごと一個(中玉)
丸ごと一個のスイカを買うのはずいぶん久しぶりだなぁ、と振り返ってみると
インド駐在以来でした。
ローカルマーケットでラグビーボール型のスイカをみつけ
しばしば丸ごと買い、暑い時期の水分補給に味わったものでした。
当時、マダムとしては未熟で、ドライバーやガード(門番)達に
どのように接していいのか迷う日々でしたが
丸ごと一個のスイカをぶら下げて帰宅する私に集まる
熱い視線を感じた時、勝利の予感を感じたのでした。
暑い中で働く(ほとんどが座ってるだけだけですが・・笑)
彼らにとって水分補給は大切なこと。
洗って冷蔵庫で冷やしたスイカを半分に切り、
メイドちゃんに「これを切ってみんなで分けてね」と
ガードの交代時間に渡してと指示し
窓からそっと様子をみてみました。
仕事を終えたガードと、これから勤務に就くガード、
ドライバーの三人が嬉しそうにスイカにかぶりつく姿は
夏休みの子供のように無邪気でかわいいものでした。
赴任直後は、肌の色の濃さで表情を読めず
うろたえているのを隠しながら、気を張って生活していましたが
食べ物に集まる彼らの表情を観ていると
なんだ、人間も動物も、どこでも同じじゃん、
気持ちがあれば通じるんだな~、ということでした。
お皿に乗ったスイカに向かって
ガードもドライバーもわらわらと・・・わらわら?
だれ? そのチェックのシャツのおっさん?
青いTシャツのお兄さん・・・? 誰~~~~?
隣近所のガードや、そこに遊びに来ている人など、
何故か我が家のスタッフ以外の人も、カブトムシのように群がって
冷えたスイカを味わっていました。
自分の家のスタッフだけにあげたつもりが
見知らぬおっちゃんにまで、ふるまうことになる不思議な景色。
先輩マダムが
「大きなポットいっぱいのチャイを渡していたら、よそのガードまで飲んでいた!
腹が立ったので、『チャイは買いなさい!』ってチャイ代金をお金で渡すように変えたのよ!」
と、仰っていた時は、
あつかましい!と怒っていることに「気持ちはわかる」と思う一方、
彼らの日々の生活を見ていると「持っている人が分け与えるのはあたりまえ」という
感覚もあるので「見逃してあげればいいのに」とも感じたのです。
確かに、茶葉、ミルク、砂糖のお金を考えると
よくわからない隣近所のガードにまでチャイをふるまうことに
釈然としない気持ちもわかるのですが
「ええやん、大金ちゃうし、死ぬわけちゃうし・・・」と思ったのは秘密です。
スイカ、ポップコーン、クッキー・・・・
いろいろなもの で 餌付け をおすそ分けすることで
「いつもおやつを出してくれるマダム」ではなく、
(実際に渡すのはメイドちゃんですが)
0その夫の株が近隣のインド人スタッフの間で上がっていったのでした(笑)。
なので、夫が出勤するとき、帰宅するとき
両隣りのガード、お向かいのガード、訳のわからないお兄さんなどなど
みなさん、立ち上がって夫の顔を見ながら
お見送り、お迎えしてくれる景色は
なかなか見ものでした。
ま、お仕事して稼いでいたのは間違いなく夫でしたからね。
家庭での力関係を見られたら、あれほどの尊敬を
勝ち取れたかどうかは疑問です(笑)。
スイカを切りながら、
「みんな元気かな?」と、懐かしくなるのです。
・・・・そんな我が家の裏庭に一本だけ植えてみた
ラグビーボール型のスイカ。初めて植えたスイカ。
農業素人の私の想像を超える成長ぶりで
歩く場所が無くなってしまいました。
実・・・・・できるのかな?
もし失敗したら、またいつかインドに行って丸ごと買おう!
]]>このブログを目にする可能性が低くなったので
「今なら言える、当時の猫パンチ(裏拳)を時々書いて行こうかと・・・。
気まぐれ更新なのは相変わらずなので、ごめんなさい。
]]>いないことはわかっていても、毎日「ただいま~」と言いながら
玄関ドアをあける日々が続いていました。
家の中でも、毛布がもりあがったところや
ソファのひじ掛けの陰などに気配を探してしまいます。
少しずつ記憶が遠くなっていくようにも思えるし、
まだこうして思い出すと、涙がこぼれてしまい
しっとりとした肉球が恋しくてたまらない気持ちになります。
先日、クロネコ便を出しに行き、
クロネコメンバーズを使って送り伝票を出そうと
パスワード入力に進んだときのこと。
・・・・・・パスワード・・・・・しばらくぶりで忘れていたけれど
まんま、めー様の本名でした。
今日はここにいたんだね。
めー様と一緒に大きくなったじょしこ~せ~(現じょしだいせ~)に
この荷物が無事に届くように、見届けてくださいね。
クロネコ宅急便、我が家の荷物にはサバ猫サポートついてます。
インドにもクロネコヤマトは進出し、頑張っています。
ヤマト運輸のことも応援しようっと。
]]>
残留を希望していたけれど、会社の事業計画などもあり
あえなく(笑)帰国が決まってしまった私たち。
土日を利用して最後のインド国内旅行を楽しんだけれど
あっという間に時間は過ぎてしまい
残すところあと2日という慌しさ。
家の中をからっぽにして、2日ほどホテル暮らしとなりました。
365日、交替で門を守ってくれていた門番君たちには
引っ越し当日は慌しいのと、シフトの関係で会えない人もいるので
数日前にはお別れのあいさつと、お礼を済ませておいた。
愛すべきドライバーと、いつも助けてくれたメイドちゃんの
再就職先も決まり、気がかりなことはなくなった。
念のために、紹介状もそれぞれに渡し、万全の構え。
家を出て行くその日、休みの日なのに私服で
お別れに来てくれた警備スタッフに
「お別れだね、さみしくなるよ」と言うと
「僕もとっても寂しくなります」と目を潤ませる。
「ちゃんと英語の勉強をして、もっといい仕事に就くんだよ」
と彼らの幸せを願いながらお別れ。
君らの誠実さと、どんくささと、夜中の居眠り姿を忘れないよ。
おやつにポップコーンを上げるとき
両手を広げて受け取る姿は、子供のようでかわいかったよ。
最後の日は、見送りに来てくださった会社関係の方に手を振り、
去りがたい気持ちを抑えて、笑顔で空港へ出発。
こんな気持ちで最後を迎えたことには
自分でもびっくり。
日本に帰りたくて、枕を涙で濡らした日もあったのに(笑
出国手続きを済ませ、搭乗口のベンチに座った時、
笑顔で空港を出ることができそうだな・・・と考え
キャリーバッグの中の本を出そうとしたその時、
隣の席のシク教徒(ターバンを巻いたインド人)の携帯から
聴き慣れた着メロが流れてきた。
暑いときも、寒いときも、楽しいときも、忙しいときも、
霧の時も、道に迷った時も
いつもいつも律儀に車の傍で待っていてくれたドライバーの携帯と同じ音。
「あ、いっしょだ」と思った瞬間
キャリーバッグが涙でぬれはじめ
止めることができなくなってしまった。
インドを離れることが寂しいんじゃなかった。
お金と時間さえ何とかすれば、また来ることができる。
もし、再赴任という話が来れば、
またここで暮らすこともできる。
でも、今までの生活の中で小さいトラブルや
大きなトラブルや、中くらいのトラブルや・・・w
そんなあれこれの時に、一緒に困ったり、助けてくれたスタッフたちと
お別れすることの方が、寂しかったのね。
再会できる可能性はとても低い。
彼らが、食べるものに困りませんように。
いい仕事と雇い主に恵まれますように。
記憶の片隅に、変わり者の日本人がいたことを残してくれますように。
さよならインド さよならデリー
豪快な思い出をありがとう。
]]>
ずいぶん前の話になりますが・・・
帰国後、特にインターバルもなく
夫は仕事に復帰してしまったので
私も速攻でハローワークへ行きましたのよ。
デリーへ旅立つ前に、失業保険の給付延長の申請をしていたので
あれこれ書類を出した後、1回目の失業認定日に
第1回の失業保険金給付の手続きをしてもらえました。
貰える期間は約3ヶ月。
保険が切れるまでに、仕事を決めたいな~と思いながら
毎週、求人票をチェックしにハローワークへ通う日々。
次に行ったのが美容院。
スタイリストさんの「今日はどうしましょう?」の問いに
「この後、履歴書用の写真を撮りに行くの。無理めの若めをよろしく」
と、即答しプレッシャーをかけシャンプー台へ。
次に目指すのは写真館。
『スピード写真700円、美白加工あり』・・・これも魅力的だけれど
この先、何枚の写真が必要になってくるのか分からないので
オリジナルデータを保管してくれて、必要な時に焼き増しのできる写真館へ。
「こんにちは! 今日はどのような写真をご希望で?」
「あのね~、履歴書用なの。
ライトを強く当てて、シミしわ飛ばして、修正よろしく!」
美容師さんに続いて、写真屋さんも無口になったのは
世の中に控えめな人が増えたからに違いない。
さて、今の仕事も無期限ではないので
来年になったら、またハローワークに行くことになりそうな・・・。
写真に顔を合わせるために、美容ローラーでも買いに行こうかな。
]]>
この夏、ニュースで「気温38度」なんて報道されていた時は
デリー感覚で
「大したことないや~~ん」とのんびり暮らしておりました。
・・・・が、10月の声を聞いた途端、少々焦っております。
その理由とは、
着るものがない。
女性としてどうなのよ? という危なさです。
デリーで作ったクルタ(インド服の上)やチュニックは
今年の日本でも違和感なく着られたので
ずっと、このペースで行けると思っていたら
・・・・・寒いのね・・・・忘れてました。
デリーでも冬服は着ていましたが
寒い期間が短かったので
数枚のアンサンブルとユニクロのフリースで過ごし
デリーを離れるときに、ほとんどの冬服は
メイドちゃんや外掃除のおばちゃんにあげてしまいました。
暑い、暑い、暑い、ちょっと涼しい、突然寒い
そんな生活だったので
10月って何を着たらいいのかしら? と
店のマネキンや通勤姿のOLさん達を見て
ただいま懸命に学習中。
デリーでは何を着ていようが、妙な季節感だろうが
誰も気にしていなかったので
私の感覚はかなり、今の生活の中ではずれている気配・・・。
リハビリにはまだまだ時間が必要そうです。
あぁ・・・早くもインド恋しさのホームシックかも。
]]>
so-netにログインすることもなく、ずいぶんと長いこと放置したままでした。
ときどき、覗いてくださった方々、本当にありがとうございます。
既にお察しの方もいらっしゃるでしょうが、破天荒なインドを離れ帰国しました。
引っ越し、再就職を含め環境の変化がめまぐるしかった数か月、
いただいたコメントにお返事もせず、ホントにごめんなさい。
そして、報告です。
帰国後、猫のめー様とちょっとだけイチャイチャしていました。
調子が悪いことに気付き、動物病院へ行ったところ
左前脚に腫瘍ができていました。
最後まで頑張っていましたが
10月3日 日曜の午前2時前に長い長い旅に出てしまいました。
朝夕の飲み薬と、6時間おきの痛みどめを
うっとおしそうにしていましたから、きっと今頃は自由に楽しんでいることと思います。
できる限りの看病と介護はしましたし、
息を引き取る瞬間も、肉球を握って死に水をとることもできたので
悔いはありません。
できる限り、そばにいてほしい気持ちもありましたが
頑張らせすぎるのも可哀想だったので
「つらかったら、もう頑張らなくていいよ。ゆっくり寝ていいよ。
もし、また猫に生まれ変わってウチの猫になりたかったら
いつでも来てね。」
目を見つめながら話したら、アップルグリーンの瞳をそらさずに聞いていました。
住んでいる自治体ではペットの火葬もしてくれて、お骨を引き取ることもできるので
悔いのない見送りができました。
車でドライブをし、キャンプにも連れて行きました。
新幹線に乗った回数、数知れず。
飛行機に乗って、日本とデリーを往復したスーパーキャットでした。
息を引き取ったあと、すぐに三途の川の渡し賃として60円を持たせたので
今頃は唯一、未経験だった船旅を楽しんでいるころだと思います。
閻魔様に過去の罪を聞かれて、布団のカルデラをとがめられたとしても
お洗濯できれいに水に流れたと、お茶目に申し立てしてくれるでしょう。
めー様のことを知っていてくださった方々、ありがとうございました。
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ちょっと用事があって、外出した月曜日。
薄いニットのセーターを羽織っていただけなのに
なんだか暑い。
暑くて袖まくりして無理やり1日過ごしたけれど
周りのインド人の皆さんは、しっかり上着も着たままという状態。
寒さに対する耐性の違いを感じてしまったわ・・・。
と、いうことで火曜日に毛糸もフリースも全部洗濯し
衣替え完了!
朝夕、外出するときは霧もあるので少々寒いけれど
日中は夏のコットンですごせるようになりました。
(ちょっと寒いときはショールを羽織っておしまい)
フリースといっしょに、肉襦袢を脱げないのはどうしてだろう?
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新年になって、20日も過ぎると
デリー在住の日本人の中で、交わされる会話の中に出てくるのが
年度替り、4月1日付けの人事異動の話。
学校に通う年齢の子供さんがいる場合は
3月の修了式を終えると、転校準備のために
大急ぎで帰国、移動してしまいます。
・・・・と、いうことで2月後半から3月にかけて
あちこちのレストランで送別ランチをする皆様を見かけます。
交代でやってくる人たちの中には、不安でいっぱいの方もあるでしょうが
年々、デリーも暮らしやすくなり、
「それなりに文化的な生活」が送れるところですから
どうぞ、怖がらずに赴任してきてください。
デリー市内は水問題、停電などあいかわらずですが
近郊のグルガオンのマンションならば
断水も無く、停電になってもすぐにバックアップの発電機が動き
セキュリティも良いそうです。
修理人やメイドちゃんが少々時簡に遅れても
「それがインドクオリティ」と考え方を変えれば
2~3分の遅刻に目くじらを立てる日本の生活の方が
おかしいのかも? と感じ始めます。
何でもあって、たいていのことは時間通りに行く生活も好きですが
いろいろ足りなくて、たいていのことが思い通りに行かない今の生活も
なかなか楽しいと思えるのです。
初めは 苦労もあるでしょうが、新しくいらっしゃる方にとって
「インドもなかなか、いいじゃない?」 と思ってもらえるといいな~と思います。
・・・・・我が家の人事異動・・・・・ありませんように(笑
読んでいただきありがとうございます
夏に暑さのせいで、消費電力が増え
停電することには慣れていましたが、
今年の冬は以前に比べて、停電回数が多く
停電している時間も長いような気がします。
夏の間は停電のときに使う自家発電気の燃料にも
気をつけているのですが
冬の停電に対する警戒心が薄れていたのか
とうとう先日、燃料切れのため蝋燭のお世話になることに・・・。
デリー市内のエアコン普及率があがったのでしょうね。
灯油の質が悪いので、ファンヒーターなどはありません。
たいていの皆さんは「暖房機能がついているエアコン」や
(冷房のみの機種もあるんですよ~)
電気で温風を送るヒーター、オイルヒーターで過ごします。
でも、床が大理石なので冷える、冷える。
・・・と、言うことで
寒い季節には発泡スチロールの箱にお湯を入れ
そこに足を突っ込んでパソコンに向かう私です。
ガスがあるときくらい、ガスでお湯を沸かさないとね(笑
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冬は、暖房を使うので
のどが渇きます。
自分の水皿まで行くのは寒いので
近場で済ませるのが
賢い猫というものでしょう。
これも一種の I Spy photo
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I Spy Treasure Hunt: A Book of Picture Riddles
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首都デリー、野生のサル・車道を歩いて出張するゾウ・中央分離帯で草を食べるウシ
そんな自然あふれる風景でも、首都であり続けるデリー。
そのデリーから少し離れた場所に、高層マンション郡と
多数のショッピングモールがあります。
そして、デリーとグルガオンを結ぶ地点には料金所。
この料金所、毎度毎度渋滞するので
日本ではありえない光景も見られます。
こんなの
↓
↓
↓
自分の前の車が、支払いに手間取って時間がかかると
料金所の列からバックして、
隣の列に移動する・・・・・・・。
来た当初、人間の割り込みにも驚いたけれど
車でも同じ事をやるとは思わなんだ・・・・・。
よく考えれば、バイクもオートリクシャーも割り込みまくりだもんね
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例によって料理中にガスが切れてしまった。
デリーのガス事情はコチラ>>
予備のガスシリンダーへの交換を夫に頼み、
台所で待っていると
「ガードも手伝ってくれて、交換しようとしたら二つもの空だったよ」
と、無常のガス無し宣告。
「えええええええええ」
前回、ガスが切れた後
注文し忘れたのか?
それとも、注文したのに配達が来てなくて
注文したことすら忘れていたのか?
腕を組んでいくら考えても、ガスは湧いてこない。
仕方がないので、電気鍋と電子レンジで調理を済ませ
翌朝、メイドちゃんの助けを借りて
ガスシリンダーの注文をするも・・・・・
2日経っても、4日経っても届きませぬ。
(いつものことよね?)
その間、カセットコンロ用のガスや電気鍋をフルに使い
ひたすら電話をして、待ってみるものの1週間経ってもやはり来ない。
今回はガス会社と戦う(笑)のをあきらめ
ドライバーにお金とカスタマーナンバーを書いたメモを渡して
「ガスシリンダー、買ってきて」と、お使いを頼むことにする。
「イエス、マダム」と返事をしながら
ガスシリンダーを持ち上げたドライバーが、微妙な顔をして・・・・
「マダム、このシリンダー・・・ガス入ってるけど・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
よくよく見ると、配達直後のプラスティックキャップがついたまま。
2本とも空だと思っていたら、予備のシリンダーは満タン。
夫の勘違いと、ガードの勘違い。
勘違いの二重奏。
喜んでいいのか、悪いのか・・・?
そして、10日後に配達されてきたガスシリンダー・・・。
これもまた例によって、我が家のガス奉行2名(ガードとドライバー)の
人間計量器が持ち上げてみたら、
「軽すぎる!」 と、いうことで
(体重計に乗せてみたら、マイナス4キロ)
配達人に持ち帰らせることになってしまった。
奉行ふたりに、にらまれては
マダムも「それでいいよ、もう」とは言えなくなってしまう。
我が家の前の道路、確かに都市ガスが通っているはずなのに
いまだに、我が家には都市ガスへの切り替え工事も
お知らせも来ない・・・・。
同じブロックの、2筋だけ離れた家には
工事関係者が確認に来た、という情報があるのに
それから、既に1ヶ月。
ガスシリンダーの配達と、都市ガス切り替えと
いったいどっちが先だろう(笑
どっちも来なかったらどうしよう?
少し前のことになりますが、フマユーン廟へ行ったとき、
お行儀悪く、グミをもぐもぐしておりました。
手が滑ってポロっと落っことしたグミ、
「アリが食べてくれるかしらね?」 と思ったら・・・・
木の実よりおいしいの?
虫歯には気をつけて欲しいな・・
時々あることですが・・・・・
蛇口から出る水が、茶色い。
デリーの水道水には、レンガと同じ色の細かい砂が混ざっています。
大家さんが屋上や地下の貯水タンクの清掃をすると
こんな風に茶色い水が出てきたりするので・・・・
これは、マダムへのミッションのサインでもあります。
それは・・・・
蛇口のお掃除。
水に混じって、砂粒などが蛇口のフィルター(という名の網)を
詰まらせます。
優雅なマダムはマニュキュアをスパナに持ち替え
わっせ、わっせとこれらをはずします。
はずした部品がコチラ ↓
赤丸の中は、大きな砂粒。
これを古歯ブラシで、ゴシゴシときれいにして元に戻します。
たいてい、こういう状態の時は
シャワーヘッドの穴も砂粒で詰まってしまい
シャワーがきれいに出なくなっています。
・・・で、登場するのが「待ち針」
白魚のようなほっそりした指に待ち針を構え
シャワーの穴、一個一個を突き刺し、ほじほじ。
その後、シャワーヘッドに水をたっぷり流し込み
コンコン、と床に打ちつければミッション完了。
次の出番まで、スパナも待ち針もベルベットで覆われた美しい宝石箱で
長い眠りにつき、マダムの優雅な手仕事はしばらくお休みとなるのでございます。
洗面ボウルのフタにはゴルフボールがぴったりよん
インドに住んでいると、ついつい集めてしまいたくなるのが象関連。
我が家にも、置物、クッション、ぬいぐるみなど増える一方。
それでも、新しいゾウグッズに出会うと欲しくなってしまう欲深さ。
また、みつけてしまいました。
ゾウさん、いろいろ。
奥の黒いゾウさんを連れ帰るべきか、一旦考えるため
写真を撮って、夫に相談。
「う~ん、黒いゾウもいいけど
馬の首も迷うなぁ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そこ?
馬は集めてないんだな・・・
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インドでは庶民の足として欠かせないのがオートリクシャ。
細いフレームと、テントでできた窓なし三輪車。
「風を感じながら走る」と、ロマンを語る人もいるけれど、
夏は熱風を浴びながら、
冬は寒さに震えながら、
(そして、鼻の穴を真っ黒にさせながら)
とは言え、日本の真冬に原付バイクのほうが寒いけれどね。
そんなオートリクシャ、冬になるとカーテンで風を少しだけさえぎります。
オーソドックスな黄色。
良く見かける黒
気分は明るく白。 白? 白二重?
何かの広告に使用したものをリサイクル(笑
使えるものは最後まで
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